売立目録

仙台伊達家 売立目録

江戸から明治に時代が大きく変わるとともに、身分や階級も上を下へといった大きな変動が起こりました。特に武士階級の没落と商人の抬頭です。かつての禄高や領地がなくなり、経済的理由からかつての支配階級であった武士や大名の中には、それまで代々受け継いだ家宝や美術品を手放さざるを得ない家が出てきました。

 加賀前田家(明治2年)、姫路酒井家(明治4年)が行った入札が嚆矢といわれ、明治時代には東本願寺、鴻池家、平瀬露香、河村家(江戸十人衆)、下村家などが売立てを行ないました。 

仙台伊達家 売立目録

大正時代になると第一次世界大戦後の恐慌に伴い、旧摂関家である近衛家(大正7年)や九条家(大正11年)が、主な旧大名家では仙台伊達家(大正5年)、秋田佐竹家(大正6年)、水戸徳川家(大正7年)、淀稲葉家(大正7年)、備前岡山池田家(大正8年)、若狭小浜酒井家(大正12年)、加賀前田家(大正14年)が家宝の売立てを行ないました。

 そんな中、尾張徳川家も大正10年に行いましたが、美術館建設資金の準備が目的であり、それがために家宝の散逸を防ぐことができ、現在も徳川美術館に源氏物語絵巻をはじめとする重代の家宝が伝来しています。

 これら名家の売立てによって名品がたくさん売りに出されました。そしてそれらを買い求めたのが財閥や第一次世界大戦で巨万の富を得た財界人や成金たちでした。

そして昭和になり世界恐慌による昭和恐慌が引き金になり、大きな売立てが数多く行われました。

紀州徳川家(昭和8年)、阿波蜂須賀家(昭和8年)、松方公爵家(昭和3年)、松本雙軒庵(昭和8年)、関戸松下軒(昭和8年他)、藤田香雪斎(昭和9年他)など多くの旧大名家、華族、財閥、財界人などが時代の波に翻弄され蒐集した美術品を手放していきました。

売立ては東京をはじめ全国各地や朝鮮でも行われ、研究者によるとその数は約4,0005,000件以上に及ぶといわれています。その中の約2,500件の売立てが行われた回数を開催地域別・時代別に分類したのが下記の表です。

 

(表)売立入札会 開催地・時代別

 

東京

愛知

京都

大阪

石川

地方

不明

 

明治

30

0

32

17

2

6

5

92

大正

530

47

192

254

18

56

17

1,114

昭和戦前

512

163

164

248

33

71

37

1,228

不明

13

5

34

5

13

19

8

97

 

1,085

215

422

524

66

152

67

2,531

       (森下美術調べ)

 

売立てを行なう際には売立目録(目録、入札目録)が作成され、名家ともなれば装丁はとても豪華で、豊富な点数およびページ数の立派な目録となっております。中には原三渓のように売立目録を作成したが売立てが行われなかったという珍しいケースもありました。

これらは基本は白黒写真ですが、名品の場合はカラー写真で掲載される場合もあります。そして解説が付き、まるで一冊の美術書のようでもあります。 

仙台伊達家 売立目録

売立目録の内容からは、各家々の特色や、今は国宝や重要文化財に指定されている名品の来歴であったり、関東大震災や戦災で失われてしまったお宝の姿をうかがい知ることができます。

また値段の書込みや高値表や当時の新聞、美術雑誌等で落札値が分かる場合もあり、その当時の相場や人気を知る一助となります。

 目録の状態が良ければ、元箱、元袋、入場券、高値表などが付いているものがあります。

こうして売立目録は当時の入札カタログとしてだけでなく、美術品の来歴、旧蔵家についてのなどさまざまな情報や、名品にまつわる豊富なエピソードを今に伝えてくれています。

また出品された作品には出品番号札が箱に貼付されており、また作品名、落札値かつ落札した美術商の名が記された落札札が添付されている場合があります。これらはそれがどの売立てに付されたかが分かる貴重な資料となっております。

自らも数寄者として美術品を蒐集し「大正名器鑑」を著した高橋箒庵の「近世道具移動史」(昭和4年)は、明治から昭和初期までの世の中の流れに伴い、流転や興亡を繰り返した美術品、数寄者、美術商の活躍を名家の売立てを中心に描いた、当時の生の雰囲気を伝える名著ですのでご参考にしてください。


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