島津久光と塩川文麟

 幕末、薩摩藩の島津久光が上洛した際、家臣に京で一番の絵描きは誰かと尋ねられましたところ、家臣は中島来章が一番ですと答えました。すると久光は来章に頼みたいことがあるから薩摩藩邸に連れて来いと命じられました。

 当時の薩摩藩邸は二本松(現在の同志社大学)にあり、ここでは薩長同盟の密議が行われました。

 しかしながら、家臣が来章宅に伺いましても来章は会おうとはせず、すぐには承知しませんでした。そして三度にわたり薩摩藩の使者が来たとき、たまたま来章宅に塩川文麟が居合わせその話を耳にし、文麟は一計を案じ、自分が来章に成り代わって薩摩藩邸に行くからお前の紋付を貸せと言い、そのまま使者とともに薩摩藩邸に行きました。

 久光は来章が三顧の礼に応えて来たとの報を得て、大変喜び丁重にもてなしました。そして大楠公を描いてほしいと頼みました。やがて出来上がった大楠公の絵に久光は賛を書き入れ大満足し送り帰したそうです。 

 その後、島津久光や薩摩藩士たちとの出会いがきっかけかは分かりませんが、文麟は多くの勤王志士と親交を結んでいきます。


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