武鑑(2)

武鑑は誰が刊行したのでしょうか。

江戸幕府が当然作ったものと思われますが、実は江戸時代を通じて一貫して民間の版元を通じて刊行されました。

人気があったことで、版元同士が競い合い、その刊行される回数も徐々に増え、出世と左遷つまり知行の変動、人事異動や当主の代替わりなどの内容の改訂をいち早く反映させようと、やがては一年に数度も改訂されていったようです。

また既刊本を所有する顧客には改訂部分を差し替えるサービスまで行っていたそうです。

版元の出版競争について詳しくは「江戸の武家名鑑―武鑑と出版競争」藤實久美子著をご参照ください。

 ではなぜ武鑑が盛んに作られたのでしょうか?

まずは、多様で複雑な仕来たりや作法および、家格や役職による互いの関係性を、全ての大名、旗本やその家臣団はもちろんながら行列を構成する雇い中間にいたるまで周知徹底をしなければ大名同士、特に大名と旗本の紛争につながりかねず、時には改易に至るかもしれない為に、武鑑の情報から行列の相手が誰であるか、または自分より格上かどうかを判別する必要がありました。(戦国時代の名残により大名同士が犬猿の間柄である場合は、幕府は同席をさせなかったり、顔を合わさせない工夫や参勤時期を変えて同時期に江戸にいない工夫をしていました)

次に大名行列の見物が旅人や江戸の人々に人気があり、家紋や鎗袋等をもとに武鑑片手に調べ、「この御行列は姫路の酒井雅楽頭様だよ」などと話に花が咲いたことでしょう。

例えば、桜田門外の変の際には、襲撃側の水戸浪士たちは武鑑をその手に持ち、総登城日である33日、行列を組み江戸城を目指す大名や旗本衆を見物する風を装い、井伊家の行列を待っていたそうです。 

武鑑は見ているとそれだけで江戸時代という時代を直に感じさせてくれます。この武鑑と江戸切絵図があればタイムスリップできそうです。また武鑑に知っている名前を見つけるのも醍醐味です。

最後に武鑑は今なお人気があり、状態の良いものもたくさんあり多くの人を魅了しています。

  様々なコレクションが現存していますが、中でも軍医で小説家でもあった森鴎外による武鑑のコレクションは特に有名で、鴎外文庫の一部として今も東京大学に残っています。

 

森下美術 武鑑 会津藩主 松平容保

会津藩主 松平容保 後に京都守護職になる また家老欄に西郷頼母たちがみえる

森下美術 武鑑 絵師 狩野派 土佐派

絵師 狩野派と土佐派

 

参考文献

「大武鑑」橋本博編 名著刊行会

  「江戸の武家名鑑―武鑑と出版競争」藤實久美子著 吉川弘文館


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