絵筆を持った武士

江戸時代、武士の嗜みは琴棋書画といわれます。そのことからも漢詩を詠み、絵を描く武士はいたと思われます。彼らは何故絵筆を持ち名を残したのか?(狩野派や土佐派や各藩のお抱え絵師のように職業絵師である武士については割愛します。)

公家や寺院、茶人たちと接点をもった武士たちは、様々な美意識の共有を行なったことが推測できます。

また町人文化が花開くにしたがって町人と武家の身分を越えた密接な交流が増えたこと、1731年に清から沈南蘋が来日するなど長崎を窓口に新たな文化との接触に関心を寄せる武士が増えたこと、さらには武士は幼少時より孔子や孟子、孫子など諸子百家の書に親しみ漢学や儒学の素養があったことが中国文化への憧憬につながった、武士が絵筆を持つ主な要因だと思われます。

江戸中期は中国では清の乾隆帝の治世であり、世情も安定し文化が爛熟した時代でもあり多くの中国文物が日本にやってきました。そして大名らはそれらを蒐集しはじめるようになり、鑑賞や模写を通して中国絵画の影響を受けていった。

さらには中国の文人や士大夫に憧れ、日本独自の文人画家を目指す武士も現れるようになりました。

またこれとは別に牧野貞幹などのように自らの趣味や博物学や生物学など学問を追及する過程で絵を描いた者も多くいました。

大方、武士の絵画は余技であるが、下記のように余技を越えて画名が広く知られた者も大勢おり、中には蠣崎波響のように藩の為に、または渡辺崋山のように生活の為に絵を描いた武士もいました。(崋山の絵には他の要素も多く含まれているが)

彼らの絵画は職業絵師も顔負けなほど練達しており、大名や高位の武士の絵画にはふんだんに高価な絵具や画材が使用されており、今なおその彩りは当時の輝きを放っております。

 

〈大名〉

酒井宗雅(播磨姫路藩主)・佐竹曙山(出羽秋田藩主)・戸田忠翰(下野宇都宮藩主)・成瀬正典(尾張藩付家老)・牧野貞幹(常陸笠間藩主)・増山雪斎(伊勢長島藩主)・松平定信(陸奥白河藩主)・松平乗完(三河西尾藩主)・柳沢伊信(大和郡山藩主)

〈家老〉

蠣崎波響(松前藩家老)・佐竹義躬(秋田藩士)・柳沢里恭(大和郡山藩家老)・渡辺華山(三河田原藩家老)

〈幕臣〉

飯室昌栩・石川大浪・岩崎灌園・大岡雲峰・大久保忠恒・加藤文麗・栗本丹洲・建部秀行・鳥文斎栄之・椿椿山・董九如・水野盧朝・毛利梅園(以上旗本)・太田蜀山人・礫川一指(以上御家人)

〈その他〉 

浦上玉堂(鴨方藩士)・大窪昌章(尾張藩士)・岡岷山(広島藩士)・小田野直武(秋田藩士)・酒井抱一(姫路藩主酒井宗雅の弟)・佐久間洞巌(仙台藩士)・島田元旦(鳥取藩士)・鈴木其一(姫路藩士)・立原杏所(水戸藩士)・建部凌岱(弘前藩家老の子)・田能村竹田(岡藩士)・長澤蘆雪(淀藩士)・藤田錦江(庄内藩士)・金子金陵(旗本の家臣)・川村清雄(旗本の子)・遠坂文雍(田安家臣) 


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